1. 作品データ
- タイトル:『美女と野獣』
- 原題:Beauty and the Beast
- 公開年:1991年
- 制作:ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ
- 監督:ゲイリー・トルースデイル、カーク・ワイズ
- 受賞歴:
- 第64回アカデミー賞:アニメ映画として史上初めて作品賞にノミネート
- 作曲賞(アラン・メンケン)&歌曲賞(同名主題歌)受賞
- ゴールデングローブ賞(作品賞(ミュージカル・コメディ部門)ほか)など多数
ディズニーの長編アニメの中でも“ミュージカルスタイル”を確立した傑作と名高い本作。
美しい音楽やキャラクターの表情豊かなアニメーションが魅力で、多くのディズニーファンから支持されています。
2. ざっくりあらすじ
舞台はフランスの片田舎(時代設定は18世紀くらい?)。
読書好きで“変わり者”と呼ばれる少女・ベルは、美しい容姿もあって村で何かと注目を浴びる存在。
彼女は退屈な毎日から抜け出したいと夢見ており、そんな中、発明家の父・モーリスが迷い込んだ謎の城で“野獣”に囚われてしまう。
父を救うためにベルが代わりに城に残ることとなり、当初は乱暴で怖ろしい野獣に嫌悪感を抱くものの、やがて城の使用人たちや野獣自身の優しさに触れていく。
一方、村の人気者ガストンは「村一番の美女であるベルを妻にしたい」と執拗に狙い、ついには城への襲撃を企てる。野獣とベルの関係はどうなるのか? そして“バラの呪い”の行方は――?
3. 全体の感想:高完成度のアニメーションと音楽、でもヒロインが苦手
子どもの頃からディズニー好きな私ですが、『美女と野獣』はなぜかあまり好きになれなかった思い出があります。
大人になってから観直して、やっぱり素晴らしい音楽や華やかなミュージカルシーン、表情豊かなキャラ描写など「さすが!」と思うところは多いものの、主人公ベルの振る舞いがちょっと引っかかる部分があって、完全には推せない感じです。
ただ、主人公同士(ベルと野獣)の関係が徐々に変化するドラマは見応えがあるし、クラシックなプリンセス映画の「待つだけヒロイン」と違って“自分で動くヒロイン”が打ち出されている点が当時としては画期的なのは事実です。
「ディズニーが時代に合わせてヒロイン像をアップデートし始めた象徴」と言われるのも納得。
好き嫌いは別として、作品の歴史的価値や完成度は間違いなく高い一本だと思いました。
4. キャラクター掘り下げ
4-1. ベル:本当に“自立したヒロイン”なの?
ベルと言えば、「自ら運命を切り拓き、野獣を愛する強さを持った女性」というイメージが定着していますが、改めて観ると「あれ、彼女って結構強引で傲慢かも」と思うシーンが多々ありました。
- 村での立ち位置
村中の人が子供にいたるまで、炊事に洗濯と働く中、ベルは読書に夢中で仕事をしません。
個人的には本当にそれでいいのか!?と気が気でなかったです。
だからなのか「変わり者ね」「ミステリアス」と言われつつも、悪い扱いはほぼ受けない。
また、貸本屋さんのおじさんも、ベルには快く本を貸してくれます。
「女は学がいらない」と言われていた時代、本に読み耽っても誰からも何も言われないのはとても嬉しいことです。少しでも不細工だったら、女が賢しらに!調子に乗って、と言われていたのでは?美女だからこそ、時代の先駆的、「ミステリアス」なのでしょう。
(まあ、お父さんも変わり者で、村の人たちから遠巻きに見られていたような「変わり者親子」だったかからこそ、村人は触れるなと言われていて直接何も言われなかったのかもしれませんが。) - 野獣の城での振る舞い
頑固になって晩餐会に出ないのに、当日の夜中によくしてくれそうな使用人にご飯を要求したり、言いつけを破って秘密の部屋へ行って、厳重に管理されていた薔薇を触ったり。
その上、薔薇を触ろうとして怒られたら、もう知らないと逆ギレして出ていく……
彼女の好奇心とアクティブさは立派ですが、注意されると逆ギレして出ていくのは、ちょっとわがままが過ぎないか……?と思ってしまいました。
あと、普通に貧しい老婆を侮って魔法をかけられた、つまり美女や身なりの良いものには相応の態度を取るであろう野獣を考慮すると、ベルにとっての野獣攻略難易度はeasyだったなと思います。(笑) - 私の意地悪な感想…笑
「怖い相手にも対等に接する強さがある」と見るか、「周囲がなんだかんだで助けてくれると分かっている安心感の上で成り立っている」と見るかは微妙なところだなと。
私としては「美人であることが行動の後ろ盾になってない?」と感じてしまう部分があるんですよね。
もちろん、彼女の行動力や、父を想う優しさや、野獣の心を開く力はすごいと思います。
ただ、「なんとなく苦手…」という気持ちは子どもの頃から変わらなかったです。
4-2. ガストン:時代の犠牲者か、真の悪役か
ガストンは、“単なる自己中男”にしてはちょっと悲哀があるように思えます。
- 村の英雄タイプ
力が強く、狩りが得意で、女性たち(ガストンガールズ)からはモテモテ。つまり古い共同体では最強の男。 - ベルへの執着
自分を拒絶する唯一の女性だからこそ燃え上がってしまう。
ある意味、「これまで疑う余地もなく自分が一番とされてきたのに、違う世界を見せられた」感もありますね。 - 最終的に城を襲撃して野獣と対峙
しかしそこには意義や覚悟があるわけでもなく、ただ「ベルを奪いたい」という私情で動いて結果的に命を落とす。
「悪役としての格」は高くないけど、“男としてのプライド”と“時代の慣習”が彼を暴走させるのは切ないですね。
私はガストンを完全な極悪ヴィランズと言い切れず、「こういう男こそ時代の被害者」みたいに思ってしまいます。
女性観がアップデートされないまま突っ走ってしまい、不幸な結末になったという印象。
私が彼を許せないところは、本を足蹴にするところですね。
唾を飛ばす距離を測ったり、人を殴ったりなど、粗野で野蛮なところも、全く好みではないですが、この時代では、絶対に好きな人と結婚なんぞできないわけで、一般的なちょっと嫌、という感情以上には浮かばなかったなという印象です。
4-3. 野獣(アダム):不器用なだけで本当は優しい?
野獣そんなに怖くなくない!?と思う人は多いはず、私もです。
彼の行動・挙動には理由があって、個人的にはすごく好きです。
- 呪いとタイムリミット
薔薇の花びらが落ちきる前に相手に愛されなければ、永遠に獣の姿――そんな追いつめられた状況では、性格が荒むのも無理はないと思います。 - 周囲に対等な仲間がいない
付き従う使用人たちは、彼を本気で諫めることができない。つまりずっと孤立していたわけで、感情コントロールが下手になるのも仕方ない。 - 本質的には優しい
ベルが喜ぶように図書室を与えるシーンや、「もう帰りたい」と言われて怒りながらも結局手放すシーンなど、彼が自己犠牲的な愛を学ぶ過程は胸を打ちます。
要は、「呪いを解くカギ」でしかないと思われがちなヒロインが実は苦手だからこそ、野獣のほうに感情移入してしまうんですよね。
彼がベルを“自由にさせる”選択をするあたりが、本作で一番心が動かされるシーンでした。
4-4. 父・モーリスと使用人たち:コミカルだけど考えてみれば…
- モーリス(父親)
ちょっとドジな発明家で、ベルが「村一番の変わり者」と言われる原因の一端。個人的にはこの父もあまり好きになれなくて、娘に「あのガストンと結婚すればいいのに」的な無神経な発言も見受けられるし、巻き込まれ体質で騒動を起こしがち。
でもベルはそんな父を深く愛しているからこそ、野獣の城へ替わりに行くわけで…そこは親子愛の表れともいえます。(家父長制のあらわれとも言えるかも?)
父を嫌うはずがない、という製作当時の常識も見え隠れしている、隠れヴィランズだなと現代に生きる私は思っています。 - お城の使用人たち
ルミエールやコグスワース、ミセスポットなど、“生き物にされた家財”たちがコミカルさを担っています。
とはいえ、彼らは野獣を本気で諫めることをしてこなかった(恐れから仕方なく従っていた)感じもあり、ある意味「野獣を甘やかし続けた罪」を負っているともいえそう。
呪いを解くのも自分たちのためとはいえ、ベルに頼り切りな印象が強く、ここもまた「主従関係が悪い方向に作用してるな〜」と思ってしまいます。
5. まとめ:ベルはどうしても苦手でも、“美女と野獣”は観る価値大
こうして掘り下げてみると、『美女と野獣』はやはりディズニーのミュージカルアニメの金字塔です。
ストーリー構成や音楽、アニメーション技術の高さは素晴らしく、アカデミー賞作品賞にノミネートされたのも納得の完成度。
一方で、ヒロインのベルは賢さと強い意思を持つ女性として描かれる一方、美人ゆえに周囲に許されがちな“わがまま”が見え隠れし、私はそこに苦手意識を感じてしまいます。
逆に、野獣のほうは不器用なだけで本当は優しいというキャラ設定が哀愁を誘い、ガストンは“時代の犠牲者”として少し気の毒に映る…。
そこが作品の深みでもあり、「プリンセス映画 = 夢いっぱい」だけでは終わらない、複雑さがあるのが面白いところです。
子どもの頃は「なんだかピンと来ない」と遠ざけていた方も、大人になった今こそ観てみると、新しい発見があるかもしれません。
好き嫌いはあれど、ディズニーの歴史を語るうえで外せない一本なので、是非またの機会に鑑賞してみてくださいね。